ナイン・ソウルズ

監督
製作
出演松田龍平
受賞  
紹介 エンドロールが終わって客電が点くなり、近くに座っていた女の子が「ワケわかんない」と一言。正直、娯楽として映画を観に来ている限り、この感想以上の言葉が思い浮かばない。
 あれこれ深読みすれば何かの意味が読みとれるのかも知れないが、全編を通じて、監督が何かを表現しようとして、キャスティングや演出や脚本など、さまざまな要因が重なって、それが表現しきれず、すべてが中途半端に終わってしまった失敗作、といった印象。表現したかったもの、狙った世界観が何かさえよくわからないので、これ以上のコメントができかねる。もしかするとファンタジーにしたかったのかも知れないけれど、これと言ってファンタジックな場面もない。唯一エンディングは、タイトルからの想像も込めて解釈すると、もしかすると9人の亡霊?なのかもしれないけれど、そう解釈するには腑に落ちない点も多く、そう確信させるための演出も明確ではないので、やっぱり表現意図は不明。映画の印象はクライマックスからエンディングにかけての展開で決まる場合が多いので(「ショーシャンクの空に」がその典型。中盤まであんなにもたもたしてたのに、ラストのめくるめく展開が世紀の名作へと押し上げた!)、本作の場合、このラストのキレの悪さが決定的に印象を損ねたと言える。一番大事なシーンで、車が切り返しのもたつくシーンで、ほんとにがっくりしてしまった。おいおいって感じだ。

 腹持ちならない父親を刺殺した自閉症の青年が放り込まれた刑務所の雑居房。ところがこの房には脱獄の名人がいて、程なく一人を残して青年を含む9人がまんまと富士山麓へと脱獄することに成功。殺人で10年以上の刑期を食らった猛者たち9人は、追っ手が迫る中、この世でやり残したこと、思い残したことを片づけ、人生に自らケリを付けるべく、縁ある地へと舞い戻って行く。
 このプロットだけ見ると、とっても期待できる作品なんだけどなぁ。。。
疑問点
(1)國村隼は、なぜ脱獄計画直前に狂気して行動を共にできなかったのか?
(2)板尾さんを捕まえに来たのは、なぜ作業服の男たちだったのか?車は警察の車両だったから、彼が殺した男の関係者ではないはずだが・・・
(3)たまたま山道を通りかかった車が、マメ山田の恋する女がいる見せ物小屋のものだったという偶然もできすぎだが、メクラメッポウ走り回ったあげく、件の小屋にたどり着いてしまうというのも重ね重ねに出来過ぎ。これって何かの必然?
(4)しかもその小屋に憧れの君がいることを彼は知っていた風。だったら最初に車を見たときに、マメ山田はなぜ反応しなかったのだろう?
(5)ラスト、原田芳雄はどうやら交通事故死したらしいし、その他の面々も、自分で自分を殴り殺したり、路上で(てんかん?)発作を起こしたりと、かなり無理はあるが何人かは命を落とした模様。その魂が車に戻ってくるのはわかるが、死んではいないマメ山田や板尾さんまで戻ってくるのはおかしくないか?

評価
  

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