思春期の叫び〜「リリイ・シュシュ」と「世界の終わり」 2001/11/29

 奇しくも今、閉塞感と疎外感の中呼吸することすらできずに喘ぐ思春期の子供たちをテーマにした二作品が上映されています。岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」と、嶽本野ばら原作「世界の終わりという名の雑貨店」。
 題材は似ていても脚本や演出の違いでこんなにもテイストが異なってしまうものかと驚かされるほど、両作品に共通点は少なく、むしろ対極に位置していると言ってもいいかもしれません。
 「夢」を語れなくなってしまった日本社会の現状を反映するかのように、ティーンエイジャーを題材とした作品の公開が続いています。心と体のアンバランスに戸惑う14歳の少女をセンセーショナルな映像で綴った「本当に若い娘」(1976年、仏;公開中)、塩田明彦監督、宮崎あおい主演「害虫」(2002年春公開予定)・・・。こうした作品群を見比べて、監督毎に異なる切り口を楽しんでみるのも面白いかもしれません。元祖・悩める少年モノである「大人は判ってくれない」(1959年 仏、フランソワ・トリュフォー監督)もこの機会に鑑賞してみては如何?

■「世界の終わりという名の雑貨店」(2001年 日) 評価:★★☆
監督/濱田樹石
出演/西島秀俊/高橋マリ子/真行寺君枝/加藤夏希/菊池亜衣/小泉絵美子/派谷恵美
<渋谷シネパレスにて公開中>
□あらすじ
 情報誌のライター雄高の趣味は、時々の自分の思いをテープレコーダーに吹き込んで、それを再生すること。彼はある日、違和感をぬぐえないその仕事をやめて「世界の終わり」という雑貨店を始める。一方、自分に宛てて手紙を書きつづける女子高生・胡摩は、学校や友達、家庭の疎外感から逃れるようにその店に辿り付く。""似たもの同士""の二人の心の交流が始まった矢先、店はビルの建て替えで取り壊され、居場所を失った彼らは、「世界の終わり」を探す旅に出る。
□みどころ
 嶽本野ばらの同名小説が原作。
 ストーリーとは無関係に殊更下心を感じさせるカメラアングルや、モデル出身の美人女優陣を相手にしたビデオグラビアの如きポーズカット、マンガチックな探偵の出没・・・。こうした監督の悪ふざけが作品をぶち壊してしまった感はあるが、それを補って余りあるのは「雑貨店」店内のあまりに見事な装飾と、胡摩を取り巻く希薄な人間関係の描写。悲恋という原作の設定を敢えて外し、二人を「同志」のような関係に昇華させたことも、「高校教師」の二番煎じに陥ることから作品を救ったといえる。
 印象的なのは、世界の果てを求めて訪ねた山中で、意外にも胡摩が「世界の始まり」を見出すシーン。そして未成年ゆえの哀しい結末にも関わらず、彼女は太陽に向かって「こんにちは」と呼びかける。小さな冒険を経験し、分かり合える他人の存在に気付いた彼女は、一つ成長し,一つ強くなった。この前向きさが救いだ。

■「リリイ・シュシュのすべて」(2001年 日) 評価:★★★
監督/岩井俊二
出演/市原隼人/忍成修吾/伊藤歩/蒼井優/大沢たかお /稲森いずみ
<福島、東京、福井、大阪、神戸、京都、広島、福岡で公開中>
□あらすじ
 迫害されたくなければ迫害しろ。いじめが席巻する学生生活の中で喘ぐ彼らの救いはリリイの存在。彼らの安らぎの場所は、リリイのBBS。孤独な「エーテル」信奉者たちはその安息の地で自らのリリイへの思いを書き綴る。しかし、それが連帯や「エーテル」の共有ではないことは、皮肉にもリリイのライブ会場で明らかになる。
□みどころ
 「雑貨店」が疎外感の中での思いの共有の喜びにテーマを見出すとすれば、こちらは共有できない共感がテーマだと言える。少年たちのカリスマ・シンガー、リリイ・シュシュが唱える「エーテル」。彼らは息詰まる日常の救いをその「エーテル」に求めた。だが、身近なところにいるはずの「エーテル」信者たちに彼らはあまりに無関心だ。いや、むしろ他人が自分の「エーテル」を汚すことを恐れ嫌いすらしている。
 主人公たちの苦しさを反映するかのように、この作品と二時間を共有することは観客にもかなりの息苦しさを強いる。透明感のある映像美が信条の岩井監督としては180度趣向を変えた作風であると言っていい。全編、澱んだエーテルが映像を支配し、他力本願な救いは見出せない。敗者となって命を絶つか、強者を倒して勝者となるか。なんという荒涼・・・

<koala>

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