ノー・ルッキング・バック 2000/05/19

■「ノー・ルッキング・バック」(1999年米) 評価 ★★★☆
製作総指揮/ロバート・レッドフォード
監督/エドワード・バーンズ
出演/ローレン・ホリー、エドワード・バーンズ、ジョン・ボン・ジョヴィ、ブライス・ダナー
<渋谷シネパレスにて公開中>
 
■あらすじ
 放浪の末故郷の田舎町に帰ってきたチャーリー。彼の目的は、妊娠中絶させたまま別れた元恋人クローディアに会う事。一方、クローディアはチャーリーの親友と同棲していながら、なぜか結婚には踏み切れずにいた。チャーリーと離れていることでかろうじて平穏を保っていたクローディアの心は、彼との再会でにわかに乱れ始める。 

■講評
 監督は五年前にデビュー作「マクマレン兄弟」でサンダンス映画祭を制したエドワード・バーンズ。サンダンスといえばレッドフォード・ファミリーである。本作もファミリーの色彩を色濃く反映し、青春の炎のくすぶりを胸に宿した30代の男女が織り成す心象風景を繊細な描写で表現したビターな秀作に仕上がっている。
 田舎町。故郷。当然のように仲間と恋をし、結婚し、子供をつくる。埋没してしまえば、それなりに優しく包んでくれるこの温室の居心地を悪くするのは、沸沸とたぎる青春の抑圧されたエネルギー。それは夢であったり、未知なる世界への憧れであったり。多くの人々は、「いつか、そのうち」と言いながら皺を刻み、現実を受け入れて行く。
 若かりしチャーリーにはそれが耐えられなかった。それを我侭とか冷酷と批判することはできない。そして数年後、成功などという世間的なものとは異なった次元で彼は一つの答をみつけて帰郷する。しかし、そこに待っていたのは、未だ答を探せず、探す勇気も持てぬまま別れたとき以来悶々たる日々を送るクローディアであった。そのことに気付き、自分なりの「答」の大切さを知っているチャーリーは、彼女を一人旅立たせる。この寛容さ、そして彼女への思いやりを、彼の成長と呼ばずしてなんと呼ぶ?
 ここで悲しいのは、クローディアの同棲相手であるマイケルだ。一見、遊び人風のチャーリーに対してマイケルは実直。おそらく彼は、凡庸でもいい夫、いい父親になるだろう。でも、そうなることを当然と考え、その未来図の調度品としてしかクローディアを見ることができない彼には、彼女の苦悩が全く理解できない。結婚を拒絶する訳も、チャーリーとのあからさまな密会で二人の関係を破壊する心理も、彼を混乱させるのみ。彼は埋没を受け入れるタイプの人間なのだ。
 地味な物語だ。そして、演じる俳優陣も徹底的に地味。クローディア(ローレン・ホリー)も、美形ではあるが若き日の輝きは失っているし、マイケル(ボン・ジョヴィ)も生活に追われている。チャーリーだってその日暮らしと言っていい。こうした脚本は特に演技力が問われる。その一角をミュージシャンであるボン・ジョヴィが余裕の演技で立派に担っているのには脱帽する。彼はもう、俳優をもう一つの本業としていると言っていいだろう。
 「モンタナの風に吹かれて」同様、優柔不断で煮え切らない、という印象で苦手とされる向きも多いと思う。しかし、迷いや逃げではなく、愛する人に背中を押されるように旅立つ女と、逆の立場になって故郷で彼女の帰りを待つ決心をする男を、それぞれに粋な演出で表現したラストシーンは、開放的で安心感に満ちている。この映画を観ながら、あなたも青春の忘れ物探しをしてみませんか?

<koala>

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