あふれる熱い涙 1999/10/21

「あふれる熱い涙」(1992年 日本)
評価:★★★★★
監督・脚本:田代廣孝(第一回監督作品)
出演:ルビー・モレノ、戸川純、佐野史郎、鈴木正幸
<新宿シネマ・カリテで10/22までリバイバル・レイトショー>

■受賞歴 
第1回日本映画ビエンナーレ(フランス)銀賞受賞
おおさか映画祭新人監督賞、全国映連新人監督賞受賞
ベルリン国際映画祭パノラマ部門正式出品
サンフランシスコ、シンガポール、ロンドン各国際映画祭正式出品
ハワイ映画祭正式出品 ほか

■あらすじ
嫁ぎ先の岩手から逃げ出したフィリピン人農村妻が東京での帰国旅費稼ぎのアルバイト先で触れる、宿命に翻弄される男女の優しさと肉親の冷たさ。そして人生に背を向けた彼女を訪れる意外な愛が彩る慟哭のラスト・・・

■感想
最高の脚本に最高のキャスト、そして素晴らしいラストシーン・・・。またひとつ、人生の宝物になりそうな作品に出会えました。

■みどころ
田代廣孝監督・・・?
恥ずかしながら、そして失礼ながら、1度も耳にしたことがないこの名前。現在公開中の「Mr.Pのダンシングスシバー」が同監督の第二作である。かつて新藤兼人の助監督を経験し、いきなり本作で監督デビュー。その後彼は、ロバート・レッドフォード主宰の米国サンダンス・インスチテュートに師事することになる。

この「あふれる熱い涙」は、新宿シネマ・カリテで「Mr.Pのダンシングスシバー」の公開記念ということでレイトショー上映されている(この原稿が配信されるころには上映は終了しているだろう)。プリントは英語字幕版。つまり海外上映用。ほとんどの台詞は日本語で話されるが、一部英語で交される会話には、従って、日本語字幕がついていなかったりする。

ルビー・モレノ演じるフィリピン人農村妻。「まだ見ぬ父親の住む日本で幸せをつかむ」という彼女の決意もフィリピン女性特有の辛抱強さも、渡来1年にして無惨に打ち砕く現代日本農村の封建性、閉鎖性、陰湿さ、そして決定的な意志表現能力の欠如。

一方、旅費稼ぎの仮の住家であるはずの、そして他人に冷淡であるはずの大都会・新宿新大久保で出会った宿命に翻弄され深い「業(ごう)」の淵にひっそりと息づく男女が見せる渾身の優しさ。この比較文化論的な壮大なる視点と小さくも深い人間ドラマの見事な融合!この脚本を監督は、ぎこちないほどに「演技」の風味を消した演出で「誠実に」表現してゆく。最初は素人演劇か?と感じる独特のクセのあるこの表現手法も、監督の意図だとわかったあとはむしろ心地よくもある。

役者陣も最高。この役にはこの俳優しかない、という布陣で、低予算の新人監督作品とはとても思えない。その実現の影には、監督と佐野史郎との個人的交友、来日間もないルビー・モレノとの出会い、そして懇願し続けてついに通じた戸川純への熱き思いがあったという。中でも戸川は、幼少から成人するまでの日々この新宿・歌舞伎町界隈を生活の場、遊び場として過ごした経歴の持ち主。監督がその辺まで承知の上で出演交渉をしたかどうかは定かではないが、ジャンキーな風景への彼女の解け込みようは決して偶然ではないのだ。

そして、悲しみも昂ぶりも怒りも不安も、すべてをやさしく包み込むアンデスの調べ。これがまた、身震いするほどに映像に見事にマッチしている。劇中何度も演奏されるフィリピン歌謡も、故国を遠く離れた者、帰路を失った者たちの郷愁を言い表して余りある。

絶望と不安と閉塞感が渦巻くクライマックス。でも不思議な安心感と開放感が同居している。そして、予想に反して現れる忘れかけていた「愛と幸せ」の象徴。彼女が求めるものは意外なところに既にあったのだ。文化の違いを愛が乗り越えた瞬間。この美しい光景に、我々はスクリーン・カーテンの奥で誰知らず送られて行くだろうささやかな愛の日々の始まりとその無限の広がりを予感する。

一体何だろう、この感動は。かつて石井聰互監督の名作「ユメノ銀河」に出会った時の身震いに似た感覚だ。おそらくビデオでもお目にかかることは困難であろうこの作品に触れることができた幸運に感謝したい。

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