葡萄酒色の人生 ロートレック 1999/09/08

■『葡萄酒色の人生 ロートレック』(1998 仏・西合作) 
評価:★★★★
監督:ロジェ・プランション
出演:レジス・ロワイエ、エルザ・ジルベルシュタイン、アネモーヌ、クロード・リッシュ、クレール・ボロトラ
−1999年 セザール賞最優秀衣装賞・美術賞受賞−
<渋谷 ル・シネマにて上映中>

■あらすじ
酒と女をこよなく愛した貴族にして市井画家・アンリ=ロートレックの生涯を、両親や友人、恋人、同時代の画家たちとの交流を交えて舞台劇風味たっぷりに描く。

■評
ロートレック。成長の止った小人画家。伯爵家の嫡男でありながら市井に生きた人。酒と女と、そして何より絵を描くことをこよなく愛した人。印象派運動と時代を共に生き、名匠ドガに認められ、ゴッホに心酔する。彼が愛した女性たちは貴賎問わずみな、どこか気高さをたたえている。短身故に自然と女性を見上げてしまう習癖がいつしか女性への畏敬の念を彼に植え付けたのかもしれない。

生家を離れ酒に溺れ娼館に入り浸る毎日の中で、彼はルノワールのモデル、シュザンヌ・ヴァラドンと恋に落ちる。彼女こそは、後に自らも画家となり、ユトリロの母となる女性である。身分の差や、互いの才能を認め合ってしまったことが影を落とすこの二人の愛の軌跡を軸に、物語は展開する。

監督はじめ、俳優人も大部分を舞台演劇出身者で固めた本作品は、やはり非常に舞台劇的である。しかも躍動感に満ち非常にキレのよい演出。期待に満ちた誕生シーンに始まり、娼婦や踊り子たちの笑顔に見送られての永遠の旅立ちに終わるまでの「幕」の変転と構成も見事。その中で、ロワイエ演じるロートレックは非常にハイテンションに、オーバーアクション気味に大立ち回りを演じ、短い生涯を不自由な足で駆け抜ける。映画の中での彼には、少なくとも酩酊している彼には、劣等感による卑屈さは微塵もなく、ひたすら陽気な道化で有りつづける。そして醜い容姿の彼の愛は、さらに下層の人々に純粋に注がれる。自らの宿命を茶化し、自分よりも惨めな者たちに目を向けることで自らの現実を受け入れようとするかのごとく。

彼ら最底辺の者たちと生活を共にする中で、ロートレックの「ポスター」芸術が生まれる。この、アンディー・ウォーホールにも繋がる大衆芸術は画家としての彼の名声や評価を傷つけるものであったが、彼にとってはこれも大切な表現方法の一つで、決して堕落や生活防衛的目的による産物ではないことをこの映画は語っている。

特筆すべきはやはりセザール賞受賞の美術。酒場「ムーラン・ルージュ」やそこで繰り広げられるフレンチ・カンカン、豪華な娼館など、当時のパリの様子が強い色調で美しく再現されている。

俳優陣では、チャップリンのような哀愁をたたえた道化ぶりで新しいロートレック像を表現したロワイエの演技が光るが、モディリアーニの女性画から抜け出てきたような「絵画的美人」ぶりを見せつけたジルベルシュタインも強い印象を残した。彼女だけは本作品中でアネモーヌと共に数少ない映画畑の俳優で、「ミナ」「カストラート」での好演が記憶に新しい。

その他特筆すべきは、ロートレックによるモデルの申し出を拒否し続ける美しき洗濯女エレーヌを演じたボロトラ。台詞も出番も僅かながら、清楚さと意思の強さを併せ持ち、瞳に深い悲しみをたたえる女性像を強い存在感で表現し、鮮烈な印象を与えた。ヴァネッサ・パラディに匹敵する美形と表現力を持つ彼女は、今後が楽しみだ。

上でも述べた通り、演出はミュージカルかと思うほど非常に舞台演劇的で、主役のロワイエの演技もキレが良すぎて、慣れていないと始めは戸惑う。しかし、監督のこの独特のクセある世界に慣れるに従い、逆に表現がストレートな分、監督が想像するロートレック像もストレートに我々に届いてくる。
そして、エンディングでは軽く目頭を湿らせながら、天国にも思える花畠で娼婦や踊り子が旅立つアンリを「歓待」するシーンの美しさにすっかり酔わされているはずだ。
好みもあるだろうが、良し悪しを論じる前に、こういう表現形態を素直に「楽しんで」味わってほしい。

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