双生児 1999/09/22

「双生児」(1999年 日本)評価:★★★★
監督:塚本晋也
出演:本木雅弘、りょう、藤村志保、筒井康隆、麿赤兒、浅野忠信、石橋蓮司、田口トモロヲ、もたいまさこ、竹中直人

ストーリー: 
 時代は明治。河原で見初めた「記憶喪失」の女を妻とした名門医師大徳寺雪雄。しかし直後から邸には奇怪な気配が漂い、父母が相次いで変死を遂げる。そして雪雄は自分とうりふたつの貧民窟の男に井戸へ投げ込まれ、男は雪雄になりすまし、妻と情交を重ねる。夜毎男が雪雄に告げる妻の本性や大徳寺家の忌まわしい過去に雪雄は半狂乱する。一方、男は次第に雪雄の静かな心を持ち始める・・・

所感:
 原作は江戸川乱歩の初期の短編作品「双生児〜ある死刑囚が教誨師にうちあけた話」。ただ、これは兄に成りすまして犯罪を重ねた双生児の弟の告白記であり、本作のモチーフとはなっていても、ストーリーに直接的な関係は薄い。ディテールについては脚本・撮影・編集まで兼ねた監督のオリジナルと言って良い。
 とにかく泣きそうになるぐらい「怖い」映画だ。オカルト、あるいはホラーという意味ではなく、精神的に追いこまれ、混乱させられるのだ。
 まずは度肝を抜かれ、早々と戦意喪失させられる冒頭の汚らわしい映像。そして全登場人物に施された眉を消したメイク。顔の中で最も感情を表わし伝える機能を持つ「眉」がないことで、登場人物の心の動きが非常に読み取りにくくなり、得も言われぬ不安感を覚える。そして、ほぼ全ての台詞をアフレコ(映像に合わせて後で声を重ねる)とし、故意に場面の状況を無視した音量で重ねたことによる不思議な程の遠近感の喪失。これが、効果的なBGMと共に映像に満ちる奥行き感である「背後の気配(恐怖)」を逆に高めているようで、面白い。こうした諸々の作為によってスクリーンには異次元空間が形成され、観客もそこに否応なく引きこまれてゆく。この辺の計算が巧い。
 そして「対照性」にこだわった演出も統一が取れていていい。ブルーを基調にモノトーンと言っていいほど色調を押さえて表現された雪雄の住む「富裕区街」と、対照的にカラフルな衣装と風俗に彩られた捨吉の「貧民窟」。豊かさと貧しさということからの連想とはむしろ矛盾するこの表現が、両地域を「上下」ではなく「対等」な関係として位置付け、単に兄弟各々の境遇や雪雄の妻りんの境遇の変化といった表面的なストーリーだけでなく、一人の人間の中に宿る二面性をも連想させ、映画により深みを与えている。「下賎」の象徴としての獣皮装束も雄弁な表現で好きだ。
 役者の布陣は、本木・りょうという若手主演俳優を麿赤兒や藤村志保、石橋蓮司といった個性派ベテラン舞台俳優が支えるという図式。
 顔の個性だけでこの映画の表現意図を既に体現してしまっているりょう。表情と台詞回しによる貴賎の演じ分けも見事。これで映画初出演とは信じ難い。TVドラマでの活動が目立つが、むしろ「映画的」な女優さんと見た。本人も映画出演は望むところとのことなので、今後も銀幕での積極的な活動を期待したい。
 対して、多くの台詞と動と静の演じ分けを要求された本木は、やはり脇の舞台俳優と比べて未熟さが目立つ結果となった。特に、異様な装束で邸に潜入した貧民窟の男を演じるシーンは、妖怪のような神出鬼没感を期待するところ、アクロバットを含め、仕草にキレを欠いたことが残念。
 また、割舌のよさ、即ち大見得を切るシーンでの台詞の聞き取りやすさも、鍛錬を重ねた舞台俳優陣には遠く及ばない(これは浅野忠信にも言える)。それでも、正反対の境遇に生きる双子の二人の男とその性格の変化を細かい顔の表情や台詞回しで演じ分けたところは見事。
 今までにない日本映画としての表現を求めた実験作品的な要素もあるので、演出や進行に時折とまどいが見られるのはご愛嬌。強く印象に残る大変面白い作品に仕上がっている。
<koala>

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