アントワーヌ・ドワネルの冒険 五部作 | 2000/05/05 |
■<アントワーヌ・ドワネルの冒険 五部作>(1959〜1979) 「大人は判ってくれない」('59) 「アントワーヌとコレット」('62) 「夜霧の恋人たち」('68) 「家庭」('70) 「逃げ去る恋」('79) 評価/★★★☆ 監督/フランソワ・トリュフォー 出演/ジャン=ピエール・レオー ■あらすじ 恋に人生に悩める一人の男を、少年期から中年に差し掛かるまでの20年間にわたって、同一の俳優を主人公にして描いた自伝的作品群。 ■各作品の紹介 #「大人は判ってくれない」('59) ドワネル役のジャン=ピエール・レオーは当時13才。このあと、「逃げ去る恋」まで20年間に渡ってこの連作とともに成長して行くことになる。 母親の連れ子である事実、授業中の悪戯、悪友・親友、夫婦喧嘩、学校をさぼっての遊園地・映画館遊び、母親の浮気、家出、盗み、逮捕、少年院、脱走。 悩み多き少年と、その原因をつくりながら少年の心を理解しない大人たちを描いた秀作。 「思春期」よりもテーマを絞った重い作品。 #「アントワーヌとコレット」('62) 短編オムニバスの形式で構成された「二十歳の恋」の中で、「パリ編」としてトリュフォーが製作。 グレていた学生時代も終わり、社会に出てレコード会社で働き始めたアントワーヌは、コンサートで見かけた美しい女性コレットに恋をする。でも、彼女はまだまだ子供の彼よりも何枚も上手(うわて)。誘ってははぐらかされ、友達の関係からいつまでたっても抜け出せない。彼は彼女の両親に取り入っての接近を試み、ついには彼女の向かいの部屋に引越しを決行するが・・・。 監督自身の体験に基づいたどこか愛らしいストーリー。どう見てもつりあわない相手に背伸びして挑むアントワーヌは冴えないながら健気で、つい応援したくなってしまう。 #「夜霧の恋人たち」('68) 不真面目さから軍隊を除隊となり、職を転々とした挙げ句探偵に。彼は「皆に嫌われている気がする」という依頼人の要請で依頼人経営の靴店店員として潜入するが、そこの妻に気に入られ、逃げ回るもののついに彼女と関係。しかし彼女も同じ事務所の探偵のターゲット。彼の恋人もまたターゲット。ラスト、彼女をずっと尾行していた男が、彼とデート中の彼女に突然告白し去ってゆく。 人間同士の関わり合いの軽さ、希薄さ、理解の不足、不安を浮き彫りにする。 #「家庭」('70) シリーズ中最もコミカルな脚色。 めでたく良家出身のバイオリニスト、クリスティーヌと結婚し、ヒモ同然ながら妻の両親も交えて幸福な日々を過ごすアントワーヌだが、子供もでき就職も決まってまさに幸福絶頂の折りも折り、職場で見かけた日本人女性キョーコと恋に落ちてしまう。あえなく浮気はバレて家を出るものの、所詮異人種のキョーコとの関係も長くは続かず・・・。 年齢不詳、山口小夜子のようなメイクで黒柳徹子のような話し方をするキョーコ役の松本弘子が強烈。内装を殊更に日本風にしつらえた彼女のパリの下宿、そこで和服で暮らすキョーコという、象徴的な日本文化の扱い方が面白い。これは、米国映画などによくある日本誤解ではなく、敢えて狙ったデフォルメである。 多分にトリュフォー自身の経験も折り込まれたこのエピソード、抱腹絶倒な中に「夫婦関係」の難しさや不思議さが見え隠れ。押し付けがましさのない素敵なラブコメディに仕上がっている。 #「逃げ去る恋」('79) 母との確執に道を誤った少年時代を経て、悩みながらも恋、結婚と人生を重ねてきたアントワーヌだったが、家庭の崩壊と平行して運命的な出会いを自ら演出した「宿命の女」の出現、そして過去の女との再会と、悩みの種は果てることを知らない。 コミカルな演出だが、恋の教訓が随所にちりばめられ、示唆に富んだ上質の青春絵巻に仕上がっている。シリーズをずっと観ていると、彼のことが他人事に思えなくなって来て、知らず幸福と恋の成就を願っている自分に気付く。 本作では、別れの朝、妻は夫の顔に、幸福な想い出を重ね、夫は妻に、凄惨な争いの想い出を重ねるシーンが哲学じみていて特に印象的。 <koala> |