10年、いや、50年早すぎた男・増村保造監督 (前編) 2001/09/12

 皆さんは増村保造という監督をご存知だろうか?東大法学部を卒業後、1947年に大映という当時隆盛を誇っていた映画製作会社に助監督として入社。イタリアへの映画留学も経験したあと、若尾文子という逸材を得て「青空娘」(1957)を皮切りに全20作品を彼女の主・助演にて監督し、スピーディな展開と、まるで男に復讐するかのような毒気と麻薬のような色気を併せ持った新しいヒロイン像で観客を魅了する一方、田宮二郎を擁しての「黒」シリーズでフィルムノワール風の手法を駆使して社会の歪みに深く切り込み、また、市川雷蔵に異色の演出を施しての「陸軍中野学校」ではスパイという最も冷酷な世界を背景にした男と女の生き様を暗く映し出してシリーズ化の礎を築くなど、時代に大きく先駆けた大胆で斬新な手法を次々と編み出した、日本映画史に輝く伝説の天才監督である。
 最近、日本のみならず海外においても彼の業績を再評価する動きが急で、日本でも、昨秋より<増村保造レトロスペクティブ>と銘打って各地で催されたほぼ全作品を網羅する特別上映企画が大成功を収め、今秋また、東京中野・中野武蔵野ホールにて9/8より6週間の予定で新たなプリントを含むリバイバル企画が催されている。
 「レトロ」と言うが、彼の作品に関してはこの呼称はいささか抵抗がある。というのも、製作されて約半世紀を経た現在に鑑賞しても、機関銃のように繰り出される台詞や情緒に浸ることを許さない目くるめく展開にはついてゆくのがやっとであるし、ここまで精神的に男性から解放されて「個」として生きる女性像を描き得た監督はなく、そもそも社会自体がまだ彼の作品に描かれた世界に追い付いてさえいないからだ。そんな具合だから、公開された当時の観客の戸惑いは想像に難くない。若尾文子や雷蔵の美貌に幻惑される喜びはあっても、作品自体を楽しむことができた人が如何程いたことか・・・。
 さて、本コラムでは前後編に分けて、彼の作品の中から筆者のお奨め作品を幾つか紹介してみよう。まずは監督の全57本中20本に出演した筆者が愛する若尾文子と組んだ作品から。

■「清作の妻」(1965) 若尾文子・田村高廣 
 妾上がりで村八分の娘と村の模範青年。二人はあるまじく惹かれ合い情念で結ばれる。そして、模範青年の名の下に生還の見込みない戦に旅立とうとする夫の眼をつぶしてまで妻は二人の世界を守ろうとする。
 後年の「華岡青洲の妻」の対極に位置する、凄惨で究極の愛の物語。村人の白い目をものともせず、森で、畑で、体を重ね合う光景は衝撃的。盛りのついた獣か、それとも愛の理想形か。極貧の山村に不釣り合いな若尾の美貌が印象的。

■「妻二人」(1967) 若尾文子、岡田茉莉子、高橋幸治、江波杏子
 愛されど男に捨てられる女と、男を出世させても愛を得られない妻。男に利用される不器用な女二態と、そんな女を利用する新旧の男二態を、彼らの間で起こった殺人事件によってあぶり出される夫婦の、そして男女の間の信頼と、同じ男を愛した対極にいる女どうしの間に対抗心と共に生まれる不思議な共感といった心理に焦点を当てて描き出す。
 パトリック・クェンティン原作のミステリーをもとにした見応えある秀作。有能で事務的で家と会社を守ることしか頭に無い可愛味のない女を若尾が、また、惚れれば惚れるほど男をダメにしてしまう女を岡田が、それぞれ好演。
 
■「爛(ただれ)」(1962) 若尾文子、田宮二郎、水谷良重
 増子(若尾)は愛人の浅井(田宮)が半狂乱に陥った妻を離縁してくれたため、晴れて正妻の座に座る。しかし浅井は、彼女の留守中、縁談を嫌って田舎から出てきた増子の姪・栄子と関係する。増子は現場に踏み込むが・・・
 因果応報。奪えばまた奪われるのが世の常。追えば逃げる、逃げれば追うは恋の、人情の常。夫婦という守りの世界は恋にとって墓場同然の住み処なのか。

 その他、一般の評価が高い増村×若尾作品には、戦場での医師と看護婦の愛を描いた「赤い天使」、谷崎潤一郎原作の衝撃の映画化「卍」「刺青」、清純派から女優への転機となった「『女の小箱』より 夫が見た」、自らの体を新薬の実験台に差し出した妻を描いた「華岡青洲の妻」などがあり、今年に入って相次いでビデオやDVDが発売され、レンタルも可能となっている。東京在住の方はぜひ映画館で、地方の方はビデオで、眼からウロコの斬新な映像世界を味わってみて欲しい。
 上映スケジュールやビデオ化作品についての詳細は大映のHP
http://www.daiei.tokuma.com/masumura/)
を参照されたい。

<koala>

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